銀座たくみの蔵出し市があると、後輩に教えてもらった。たくみは、都内でも有数の民芸店。以前、店をのぞいたとき、買おうと手を出すというより、所蔵品を鑑賞するような気分になったことを覚えている。値が張ることもあるけれど、空間ともの自体が発する迫力が、そうさせたように感じた。柳宗悦を中心とした民藝運動からは、濱田庄司、富本憲吉ら人間国宝が生まれ、美術品や骨董品としての価値があるけれど、僕はそういう意味で民芸が好きになったわけではない。
「選んだ眼の焦点の厳しさは、たとえ手に材料と道具を持たずとも、自らの眼により、深く心へ刻むというだけで、それなりに新たな美を生むことが可能なことを実証し、柳の場合は蒐集することが、そのまま立派な創作となりました」柳宗悦の審美眼を評したこの一節、DJの定義とも読めないだろうか?
「ここでは古いものが新しく見え、新しいものが古く見える。今私達が古いものに驚くのは、すでにそこから新しい出発を約束されている証拠だし、また、いい新しいものには必ずといってよい程、根を通して古さのよさがうけとめられている」これは染色工芸家・芹沢銈介の家を訪ねたときの原稿。classicの条件、そこからインスパイアされる作品のあるべき姿について考えさせられた。
ここまで共通点があるのは、民藝とは「日用品の素朴な美を認める」ことを提唱した芸術運動だから。高価な素材や高度な技術が目立つ品ではなく、その土地土地の生活、風土、素材から生まれた品を「発見」していく思想だからだ。年を重ねるごとに、暮らしへの意識が高まるなか、民藝な視点で、器や雑貨と向き合うことが増えた。でも、気分は渋谷で指を真っ黒にしてレコードを掘っていたときと同じなのだけど。
話を戻すと、七年ぶりに開かれるという、たくみ蔵出し市はこの週末から。初日に行くのは無理だし、僕が買えるようなものがあるのかわからないが、ぜひ行くつもりだ。そのときの自分のために、濱田庄司の言葉をもうひとつ引用する。
「私達は椅子を買う時に、西欧ということさえ意識しないくらいです。結果的には西欧のものに実に学ぶのですが、先ず頭で学んでから買うというのではなく、とにかく見て、判断を越えて心にひびくものを選んで買うのです。その結果が学ぶことになるのです。計る知識の物差を持たずに、じかに直接ものに打たれて、負けたと思うものを持ちたいのです」
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